京都地方裁判所 昭和47年(ワ)616号 判決 1977年10月28日
原告 都タクシー株式会社
右代表者代表取締役 筒井忠光
右訴訟代理人弁護士 猪野愈
被告 国
右代表者法務大臣 福田一
右指定代理人 辻井治
<ほか三名>
主文
一 被告は原告に対し金二七万五〇二二円及びその内金一二万〇九九六円に対しては昭和四七年六月八日以降、同一五万四〇二六円に対しては昭和五二年四月二日以降各支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。
二 原告のその余の請求を棄却する。
三 訴訟費用の一〇分の一は被告の負担としその余は原告の負担とする。
事実
第一当事者の求めた裁判
一 請求の趣旨
1 被告は原告に対し、金五二一万七一五〇円およびこれに対する内金三二〇万七〇六八円については昭和四七年六月八日から、内金二〇一万〇〇八二円については昭和五二年四月二日から各支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。
2 訴訟費用は被告の負担とする。
3 仮執行宣言
二 請求の趣旨に対する答弁
1 原告の請求を棄却する。
2 訴訟費用は原告の負担とする。
3 仮執行免脱宣言
第二当事者の主張
一 請求原因
1 原告はタクシー会社であるが、昭和(以下に於て略す)三四年九月八日訴外渡辺光友(以下渡辺と称す)をタクシー運転者として雇用した。
2 渡辺は三七年九月一二日午前九時頃、原告のタクシーに乗車して業務に従事中、京都市上京区河原町丸太町上る先路上において訴外高篠茂憲の運転する貨物自動車に追突され、頸部挫傷、むち打ち症或いは外傷性頸部症候群なる傷病名により同日より休務し、労働者災害補償保険法(以下労災保険法と略称する)に基づき療養補償給付並びに休業補償給付を受け続け、その間三八年一一月一日から三九年一月二八日まで就労したが、以後再発したとしてこの休務は渡辺が原告方を退職する五二年三月一五日まで続いた。
3 渡辺は事故当日京都市中京区麸屋町通六角下る革島外科病院に於て診察をうけたところ、同病院医師は頸部挫傷なる傷病名で同日より七日間は労働不能と診断したが、同年九月二九日以降は被告が設置した京都大学医学部付属病院第一外科および脳神経外科に通院して診療を受けるに至った。同病院に勤務している医師は渡辺の傷病はむちうち症であるとなし通院加療を継続したが、三八年一〇月中旬頃一旦治癒し、就労可能と診断したので渡辺は同年一一月一日から就労するに至ったが、翌三九年一月九日脳神経外科医師松村浩は右むちうち症が再発し治療を要する旨診断したので、原告は渡辺を就労させることができなくなり、同年一月二九日から就労させないこととした。その後も同病院に勤務する医師は引続き渡辺につき治療継続を要する旨記載した診断書(傷病名は四三年一月まではむちうち症、四三年一月五日以降は外傷性後頸部症候群)を作成発行しているため、原告としては渡辺が退職する五二年三月一五日まで渡辺を就労させることができないままであった。
4 他方京都大学医学部付属病院は、渡辺の診療に関し所轄官署である京都下労働基準監督署長に対し、労働者災害補償保険の給付申請をなし現在に及んでいるが、同監督署長及び担当官は渡辺の前記傷病について治癒認定もなさず、又長期傷病補償給付の決定もしないまま今日に至っている。このように労働基準監督署長が治癒認定をしない以上、原告が渡辺を就労させることは事実上不可能である。
5 しかるに渡辺は事故後一〇年以上を経過しているが、四二年以降京大病院脳神経外科はビタミンとか鎮痛剤を注射するのみでその他なんらの医療的措置を行っていない。即ち同病院の診断は四三年一月五日以前はむちうち症であり、同年一月五日以降は外傷性頸部症候群というのであるが、渡辺の症状に関してはカルテからみて何ら客観的な異常所見はみられず(特に四二年三月八日以降は症状についての所見は全くみられない)、患者の言う事に応じ、対症的に治療している状態であって、同年一〇月頃からはビタミンとか鎮痛剤等の静脈注射を週に二・三回行って現在まで続いているのであって、それが効果があるとも思われないまま慢然と継続されている。しかし渡辺は三七年九月の受傷当時革島外科病院が労務不能と認めた期間は僅か一週間であったことに徴すれば、受傷時の所見は殆んど特段の損傷が認められない位軽度のものであったと推定しうる。そして京大病院の小野村敏信医師作成の三九年九月三〇日付の診断書、同病院の松村浩医師作成の同年一〇月一日付の診断書等によれば渡辺の症状は医学的には右診断書が作成された三九年一〇月一日時点には既に固定したものと認められる。そして右固定時点には就労できるまでには回復していなかったが、その後の治療により、渡辺が自動車を運転した後などに散発的に発現していた自律神経失調等の後遺症も回復した四三年一月一日以後はタクシー運転手として勤務することが可能になったと考えられる。そうでないとしても渡辺は四三年以降は自動車を運転しており、症状が良くなっていることは明らかであるから、遅くとも本訴を提起した四七年五月三〇日にはタクシー運転者としての労働能力を回復していると認むべきである。
6 京大病院医師の過失
(一) むちうち傷害は受傷後六ヶ月を経過すればその大多数(九〇%位)が治癒して症状が固定し、一年ないし一年六ヶ月もたてばその殆んどが治癒すると解されている。渡辺の症状は四三年一月にはタクシーの運転者として勤務しうるまでに回復し、その症状は固定している。しかるに渡辺はその後引続き同病院に通院して医師の治療を求め、かつ診断書の発行を求めた。そうしてみれば受傷後五年以上を経過した時期に治療および診断書の発行を求められた医師としては、渡辺の自訴した症状につき、果してそのような症状があるか否か、かりにそれがあるとしても、受傷と因果関係があるか否か、それに対して治療をする必要があるか否か、その症状が休業しなければならない程度のものであるか否かということに疑問を持つのが当然であり、これを解明するためには、脳神経外科担当の医師の診断だけではなく、整形外科、耳鼻科、眼科などの医師の協力を求め、適確な診断をなすべき義務があるといわなければならない。
(二) しかるに京大病院の医師は右義務を怠り、四三年度以降にわずかに三回(同年七月二五日、八月二六日、四五年七月二二日)眼科に診療を依頼しただけで、適確な診断をなさず、その結果渡辺の傷害が治癒したにも拘らず、特別な症状もないのに治療を続け、「外傷性頸部症候群により、休業と通院加療を要する」旨の診断書を作成発行した。このため原告は渡辺を就労させることができなかったのであるから被告国は第一次的には国家賠償法一条により第二次的には民法七一五条によりその責任を負うべきである。
7 労働基準監督署長の過失
(一) 労働者災害補償保険は全国の使用者と国の負担によって運営されているのであるから、これを管掌している労働基準監督署長は公正に労災保険が運営されるよう保険給付を受けている労働者の症状を適確に把握すべきであり、本件では受傷から五年以上経過した四三年一月には、異例に長期にわたる保険給付でもあるので、当然渡辺の症状について疑問をもって京大病院の医師に更に精密・適確な診断を求めるか、他の医師に診断させるなどして同人の症状を適確に把握すべき義務があるのにこれを怠り、渡辺は四三年一月にはタクシー運転者として勤務しうる程度に回復し治癒していたのにこれを認識しえず、労災補償打切りの決定をしなかった。
(二) かりに当時渡辺の症状がタクシー運転者としての労働能力を回復する程度で固定していなかったとしても軽作業に耐えうる程度ではその症状が固定しており、これを認識しえたのにこれを怠り、治癒認定をしなかった。
(三) かりにその後治療継続の必要があったとしても、受傷より三年以上経過した四三年以降のいずれの時点をとっても労働基準監督署長は治療が六ヶ月の期間を超えるであろうことをたやすく認定しえたはずであり、そうすればその職責上渡辺につき長期傷病補償給付の決定をなすべきものであった。しかるにこれを怠りその決定をしないまま今日に至っている。
(四) 以上によれば労働基準監督署長は、原告より再三その決定を求められたに拘らず渡辺の顔色だけをうかがって、渡辺の症状の適確な把握を怠ったか、又はその症状を知りながら補償打切りの決定もしくは長期傷病補償給付の決定もしなかったものであって、それは単なる過失にとどまらず、故意又は重大な過失であるといえるから国家賠償法に基づき被告国は原告の被った損害を賠償すべきものといわねばならない。
8 損害
(一) 渡辺は四三年一月からタクシー運転者として就労しうる労働能力を回復していたので、原告は渡辺をタクシーに乗務させることができた筈であり、その場合原告は次の算式により算出される利益を得られたはずであった。
渡辺の稼働による運賃収入-(運行経費〔燃料費+オイル代+修理費+タイヤ・チューブ代〕+人件費〔給与+賞与+法定福利費+厚生福利費〕+車両費〔車両の原価償却費〕+管理費)
この算式によって四三年一月から五二年三月までの毎会計年度における決算書類に基づき算出した従業員一人当りの純益合計は別表のとおり四九四万二一二八円である。
(二) 四三年一月より右渡辺を就労させていれば、その支給する俸給より社会保険料を徴収することを得、原告が渡辺の負担すべき社会保険料を立替納付する必要はなかったのに次のとおりの社会保険料の立替納付を余儀なくされた。この保険料は使用者の原告と渡辺が切半して負担するものである。
(1) 自四三年一月至四四年一〇月 月額四五〇〇円
(2) 自四四年一一月至四六年一〇月 月額四七五二円
(3) 自四四年一一月至四八年九月 月額四八二四円
(4) 四八年一〇月 四八九六円
(5) 自四八年一一月至四九年一一月 月額五三二八円
(6) 自四九年一二月至五一年七月 月額五四七二円
(7) 五一年八月と九月 月額六〇一二円
(8) 自五一年一〇月至五二年二月 月額六〇八四円
以上の合計額の半額は二七万五〇二二円
(三) 右の損害金合計は五二一万七一五〇円となる。
9 よって原告は被告に対し損害金五二一万七一五〇円とこれに対する内金三二〇万七〇六八円については訴状送達日の翌日である四七年六月八日から、内金二〇一万〇〇八二円については請求の趣旨拡張申立の翌日である五二年四月二日から各支払ずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。
二 請求原因に対する認否
1 請求原因1の事実は認める。
2 同2の事実中、渡辺が三八年一一月一日から三九年一月二八日まで就労したことは不知。右期間国は渡辺に対し休業補償給付は支給していないが療養補償給付は支給しているので再発したことは否認。その余の事実は認める。
3 同3の事実中、京大付属病院医師が三八年一〇月中旬頃一旦治癒し就労可能と診断したこと、同病院脳神経外科医師松村浩が三九年一月九日むちうち症が再発し治療を要する旨診断したことは否認。原告が渡辺を就労させなかったことは不知。その余の事実は認める。
4 京大病院が京都下労働基準監督署長に対し、渡辺に対する診療費を請求したこと(労災保険の給付申請をなしたのではない)、右署長が渡辺につき治癒認定もしくは長期傷病補償給付の決定をしないで今日に至っていることは認める。右署長が治癒認定をしないため原告が渡辺を就労させることが事実上不可能であるとの主張は争う。
渡辺が就労しなかったことについては、渡辺に就労意思があったか否かの他に、原告自身渡辺については他に事情があって医師の診断如何に拘らず職場に復帰させる考えのないことを言明した事情を考慮すべきである。
5 同5の事実中、渡辺が本件事故による受傷より一〇年以上経過していること、病院の診断が四三年一月五日以前はむちうち症であり、以降は外傷性頸部症候群であることは認め、その余の事実は否認する。
6 同6の事実中、京大病院の医師が渡辺に対し治療を要する旨の判断を維持したことは認めるが、その余の事実は否認する。
渡辺の症状は他覚的所見が比較的少なく、自覚的症状を主とするが、これはいわゆるむちうち症に特徴的な症状である。医学的には自覚症状もそれ自体として明らかに異常な臨床所見であることはいうまでもなく、対症的治療も有意義な診療手段であって、向神経性ビタミン剤、鎮痛剤、鎮静剤等の投与、注射、マッサージ、超音波療法などの治療により一時的にせよ症状の軽減が得られる以上、臨床医の立場としては患者の症状が持続する限り、症状軽減のための治療を行なうことは当然である。
7 同7の事実中、署長が渡辺につき治癒認定も、長期傷病補償給付の決定もしなかったこと、渡辺を他の医師に診断させなかったこと原告が労働基準監督署長に対し再三長期傷病補償給付決定をなすよう求めたことは認めるが、その余の事実は否認する。
渡辺については症状が持続し、治療が続けられているのであるから治癒認定ができないことは当然であり、又長期傷病補償給付の決定は所轄労働基準監督署長がその自由裁量により職権をもって行なうものであるところ、渡辺のかかったむちうち症は新しい複雑な傷病であり、治療方法、期間、症状固定としての治癒の時期、就労可能の時期等について医学上研究の余地が多く残されていて未だ解明されていないこと、渡辺は症状が継続したものの治療開始後三年を経過した四〇年九月以降の時点において症状はおおむね快方に向っていたことから将来六ヶ月以上にわたり労働不能の状態が継続すると断定し難ったこと、四五年六月頃以降においては軽作業可能の状態にまで回復したことなどの諸事情から右給付決定を行なわなかったもので裁量権の濫用はない。
8 同8の事実は争う。
(一) 原告の業務は人的代替性があり、渡辺の代りに車両運転者を雇入れて稼働せしめれば得べかりし収益の喪失ということはあり得ない。そして原告が代替者を雇入れるか否か、渡辺を就労せしめるか否かについては労働基準監督署長とは無関係になし得たことである。又仮に渡辺が治癒していたとしてもタクシー運転者として就労しえたか否かは疑問であり、運転者としての損害を求めることは不当である。原告は渡辺をその労働能力に適した職場に就労せしめなかったのであるから、原告の主張する得べかりし利益の喪失は被告の行為と相当因果関係がない。四五年五月二九日京都下労働基準監督署の次長松井義雄らが原告を訪れむちうち症患者の職場復帰についての意向を打診したところ原告方の瀬川人事課長は、タクシー運転手は医師の完全治癒の診断がない限り復帰させることはできない、但し軽作業への従事可能という医師の診断があればそれえの職場復帰を考慮することがありうるが渡辺については他に事情があって医師の診断如何に拘らず復帰させる考えはない、と言明した。
(二) 原告の主張する社会保険料の半額は渡辺が支払うべきものを原告が立替えたのであるから原告が渡辺に求償すればよいのであって被告に責任はない。
第三証拠《省略》
理由
一 原告はタクシー会社であり、三四年九月八日渡辺をタクシー運転者として雇用したこと、渡辺は三七年九月一二日午前九時頃原告のタクシーに乗車して業務に従事中京都市内にて追突され頸部挫傷、むちうち症或いは外傷性頸部症候群なる傷病名により休業し、労働者災害補償保険に基づき療養補償給付、休業補償給付を受けていたこと、渡辺の休業は原告方を退職した五二年三月一五日まで継続したこと、渡辺は事故当日京都市内の革島外科病院にて頸部挫傷により同日より七日間労働不能の診断を受けたこと、三七年九月二九日以降は被告が設置した京都大学付属病院第一外科、脳神経外科に通院して診療を受けるに至ったが、同病院医師は渡辺につき治療継続を要する旨記載した診断書(傷病名は四三年一月まではむちうち症、同年一月五日以降は外傷性頸部症候群)を作成発行してきたこと、京大病院が京都下労働基準監督署長に対し渡辺に対する診療費を請求していること、右署長が渡辺につき治癒認定もしくは長期傷病補償給付の決定をしないで今日に至っていること、原告が右署長に対し再三渡辺について長期傷病補償給付の決定をするよう申請したこと、渡辺に対する診断名が四三年一月五日以前と以後で変更していること、労働基準監督署長が渡辺を他の医師に診断させなかったことは当事者間に争いがない。
二 《証拠省略》を総合すれば次の事実が認められ、この認定を覆えすに足る証拠はない。
1 渡辺は四年一月四日生れで事故当時三三才九ヶ月であった。渡辺が三七年九月一二日受傷した時の事故は、渡辺が信号待ちで停車中青信号になり前車に追従発車したところ前方にいた車が右折車に進路を妨げられ急停車したため渡辺の車も急停車したとき後続のスター食堂の貨物車が追突し自車も前車に衝突したものである。当時渡辺は首を過伸展後急激に前方に屈し一、二分間意識を失ったようであるが頭部を打った事実はない。その後後頭部に強い痛みを覚えたが三日位で軽減しその後頭重と体を横にする時首をねじる時に後頭部痛を覚えた。渡辺は平常胃が悪かった故か食後悪心を覚えた。
事故後渡辺は仕事を休みそれから一週間以内に五回革島外科病院に、その後九月二八日迄の一〇日間内に三回嶋田外科医院に各通院したがそこでつけられた傷病名は前者で頸部挫傷、後者で頭部打撲、頭部外傷合併であった。
2 その後渡辺は三七年九月二九日より一〇月一三日まで京大病院第一外科に入院したが当時の他覚的所見としては頸部の回転、屈曲伸展の障害、圧痛等が認められ、自覚的所見としては後頭部痛、頭部鈍痛、頭がぼんやりして思考力減退が認められた。入院当初は睡眠障害を訴えたが退院時には全身状態は良好で首の運動はほぼ制限なく行える様になり殆んど正常となった。その後も京大病院に通院を続け三八年八月八日自由出勤可能と認められ、同年一一月一日より三九年一月二八日まで勤務し、この間休業保険不支給となったが、その後又悪化して休業した。その後の京大病院での治療としては頭重、頭痛、頸部痛に対し局所注射、メイロン、ビタミン剤その他の注射を受けており、自律神経調整剤、精神安定剤、ビタミン剤その他の薬剤の内服を続けた。カルテによると三九年七月二八日頃にはだいぶ良くなった旨の記載があり、同年九月三〇日には小野村医師が「症状略固定し後遺症を残して治癒したものと認める。現在の所重労働に従事することは不適当と考えられる。」と診断し、翌一〇月一日には松村医師が「理学療法を施行してきたが完治せず、職業転換を要する」と診断し、その旨の各診断書を出した。同年一〇月八日には自宅での休業生活が楽である旨の記載があるが、その後症状に著変はなかった。しかし渡辺は引続き京大病院に通院して診療を受けた。京大病院の外来病誌の中渡辺の愁訴医師の所見として掲げられているのは次のとおりで他は専ら投薬、注射、牽引で四七年一月以降は理学療法が圧倒的に多い。
三九年一〇月二二日 眼調節障害、頭重
〃 一二月一〇日 第三胸椎後突起、周辺にノボカイン滲潤、非常に刺激過敏。
四〇年八月三〇日 右手の領域血管拡張す胸神経節に当ったと思われる。
〃一〇月一九日 松村浩医師は加茂川病院整形外科にあて、渡辺の頸神経はC3以下全部後突起叩打痛は胸椎に及びます、頸椎コルセット牽引頸神経ブロック星状神経節ブロックにて病初より可成り軽快しましたが全治に至りません、一度御高診下さいとの依頼状を発した。(但しこの結果についての記載はない。)
四一年二月一〇日 三日前より右耳鳴りガンガン耳痛著明ならず
〃 二月二一日 第二頸椎、第三頸椎両側を指で圧迫するとむかつきがおこる
〃 四月一八日 左頬部有痛性腫瘤
〃 五月一九日 左側頸部の緊張感とれず悪心時々ありめまい風呂で起る、左腕左顔面の外側に知覚鈍麻あり。
〃 五月二六日 頸椎後屈制限著明。
〃 六月二日 ここ数日むかつきが強い(低気圧の影響か)
〃 六月六日 右肋間強い圧痛。
〃 六月一三日 風邪
〃 六月二三日 夕方に頭痛つよいふらつく
〃 七月八日 頸部項部に疼痛あり根性痛肩部に両側とも痛み
〃 七月一八日 昨日より右三叉神経の第二、第三枝に神経痛あり
〃 八月五日 左半分頸痛、無理をするとふっとする、左耳鳴、左眼が後へ引張られるように痛い午后になると頸全体がほてる頭がぼっとする、ひっくり返る、頸を圧迫すると吐気、肩こり腰がだるい。
〃 九月二六日 むかつき。
〃 一〇月二四日 腰痛ラセグ徴候(両側)。
〃 一一月一五日 右肩痙痛右前腕萎縮。
〃 一一月二八日 両側手関節屈曲低下高度。
四二年一月一三日 五日前よりコルセットをはめたら痙痛軽減す。
〃 一月一六日 第六、七頸椎疎突起を圧迫するとむかつきあり。
〃 五月八日 腰部に倦怠感あり。
〃 五月一四日 車に乗った、雑沓場所では視力障害あり。
〃 七月二二日 昨日車で寝屋川迄行った全身倦怠感関節痛。
〃 一〇月五日 朝右手をついて起上ったら首がぎんぎんして動かなくなった。
〃 一二月二日 大阪までドライブその後苦痛増大す
四三年一二月一二日 非常によくなった
四四年一月三〇日 昨夜右上肢の尺骨側に放散痛あり
四五年七月二二日 眼科の宇山医師の診断によると両眼とも調節衰弱があるのみで他には何ら異常なしとの報告があった
京大病院の病誌には渡辺が四八年一二月二五日まで通院した旨の記載があり、同病院は四一年九月二九日以降四九年六月二一日迄、渡辺の要求により一月又は二月毎に渡辺が本件病気のため一月又は二月の間休業、通院を要する旨の診断書を出した。渡辺はこれを原告会社と京都下労働基準監督署に提出し同署から休業補償金等を受取った。
3 京大病院脳神経外科の半田譲二医師は、四九年七月二二日京都下労働基準監督署長に提出した職場復帰訓練に関する意見書において、渡辺の症状は頓に軽減安定化した。職業運転手という職務内容と長期間休業していたので直ちに終日の労働に復することは安全性に疑問があるので約三ヶ月の経過観察により徐々に労働量を増し原職に復するのが望ましいとの診断をなし、その後の五〇年一月一三日付、同年三月七日付の各診断書においても、渡辺が軽作業を経て職業運転手として復帰しうる旨診断している。
4 四五年の五月頃京都下労働基準監督署の藤原労災課長が原告を訪れ、瀬川総務課長と渡辺の処遇について話し合ったことがある。藤原課長は渡辺を軽作業に従事させて職場復帰を図るよう申入れたが、瀬川総務課長は渡辺はタクシー運転者として雇用したものであるから原告において軽作業に就かせるわけにはいかず、渡辺が治癒しているならばタクシー運転者として就労させたいこと、もし症状が完治せず長引くようであれば長期傷病補償給付の決定をして欲しい旨答えた。藤原労災課長は当時むちうち症について長期傷病補償給付の決定をした例がないのでそのまゝとし、渡辺の処置については何らの進展がなかった。
5 四二、三年頃原告は自社の従業員のうち、むちうちだといっているが疑問のある者に関西労災病院で診察を受けさせたところ同病院の副院長が患者を強く勇気づける診断を下したため半数位の患者はそのまゝ職場復帰し再発したようなこともなかった。そこで原告は四二年末頃渡辺にも関西労災病院で診断を受けるよう指示したが同人は医師を選ぶのは患者の自由だといって遂に関西労災病院の診断を受けず京大病院でのみ診断を受けた。原告方の瀬川総務課長は京都下労働基準監督署にそのことを訴えたが効果はなかった。
6 渡辺は右のように原告には京大病院作成発行の「休業通院加療を要する」旨の診断書を提出している一方四八年一二月三日以降原告方の労働組合である都タクシー労働組合の執行委員長に就任し、以後における、原告と右労働組合との間の賃金交渉その他種々の案件に係る団体交渉に参加している。又原告は四八年三月設立された財団法人京都労働災害被災者援護財団の理事、相談所長となりその業務に参与している。
三 右一、二に認定した事実によると渡辺に対する治療は延々十余年に及んでいるがその追突状況渡辺の年令、診療経過により考えると原告主張のごとく受傷後五年三ヶ月余を経過した四二年末にはほとんど治癒するか僅かの後遺症を残して症状固定していたものと認めるのは相当とする。
本件渡辺の場合のようないわゆるむちうち症は第二次世界大戦中米国の飛行機操縦士の頸部等に発生した症状をわが国のジャーナリズムが誇大に取上げたため三〇年代以後のわが国の交通事故負傷者がこれと同一視し必要以上にむちうち症の症状が誇張されるようになったものといわれているがその実体は衝突又は追突により重い頭を支えている頸椎に過伸展、過屈曲があって生ずるもので最上平太郎の鑑定書にもあるごとく、学者の統計によっても患者の六九・四%が三ヶ月以内に約七三%が五ヶ月以内に九六%が一年以内に治癒ないし症状固定するもので一年をこえるものは骨折脱臼等が伴った。少数のものに過ぎずこうした統計は当裁判所が平常取扱っている多くの交通事故にあてはめて考えてもそれ程誤差があるとは考えられず本件渡辺の場合が特殊例外の場合と解することはできない。
前記京大病院の病誌によると渡辺は四三年以降も永々と同病院に通院し注射投薬を受けていて渡辺が依然として自覚症状を訴えていたことが認められるが四三年中のごときは何ら医師の所見の記載がなく、これは全く渡辺のいうまゝに漫然と注射投薬を繰返していたものと認めざるを得ない。
わが国の保険制度のもとに於ける医療は労働者本人が罹患した場合患者には全く医療費負担がなくその上労災の場合は六割の休業補償金が支給されるのでこれを濫用する者はいつまでも医療の継続を望みがちであり病院側もそれに応じていつまでも診療を続けておれば収入の増大が図られ痛痒を感ぜず、両者の利害が対立せず合致するという特徴をもっている(医療費が患者負担であれば患者は医療の必要性についてもっと真剣に考え、節約するであろうことは見易い理である)。特にいわゆるむちうち症患者の症状は自覚症状が重なので患者が愁訴を続ければ医師もそれを否定しにくいことが多いのと人間は相手の要求を拒否するよりそれに迎合する方が楽であるからどうしても患者の要求に引づられ勝ちである。しかしこれでは国の財政負担と保険料によって賄われている保険制度の健全な運営ができないことは当然である。それを防ぐには第一に患者の良心的自覚であるがそれが期待できない患者の場合は医師の決断が要請されるといわなければならない。古来“病は気から”という諺があるように病気には精神面の作用が大きく、かつ精巧に出来ている人体は大きな外傷とか高令者の場合を除き自然治癒力をもっており、医療はむしろこれを助長するものに過ぎないとまでいわれている位であるから、積極的に治ろうとする意欲、工夫を欠く患者にして濫診濫療を求める患者の要求を拒否する勇気が治療の最たるものという場合があるといえるのに本件における渡辺を診療した京大病院はそうした決断を欠いていたと解せざるを得ない。もし渡辺が現状のような保険制度のない場合の患者ならこの程度の症状で医師がこのように永々と診療を続けたであろうと考えることは到底できないからである。
況んや労働基準法、労災保険法等の健全な運用を指導監督する立場にある京都下労働基準監督署の係官は渡辺の診療がいつまでも続けられいつもきまった文言の診断書が提出されること、渡辺の病名が前記のようにいつまでも診療を求め勝ちのいわゆるむちうち症であることに鑑みつとにこれを疑問視し渡辺の日常生活の調査、追跡或は別の医師による厳格な診断治療を求めるべきであったのにことここに出ずることなく労災による休業補償の支給等を続けたことは公務員としてなすべき注意を怠った過失があったといわねばならないのでこれにより渡辺に就業もさせ得ずこれを解雇することも出来なかったために生じた原告の損害を国家賠償法一条により賠償すべきものであるといわなければならない。
尤も証人藤原喜代夫の証言によると四三年頃は医師も労働基準監督署の係官も今日程いわゆるむちうち症の実体が解明できない状態であったことが認められるので今日の経験を以て当時の医師や労働基準監督署の非をいうことは少し酷であるがそれにしても前記認定の追突状況、四二年末原告は渡辺が関西労災病院の診断を受けることを拒んでいるので善処してくれと下労働基準監督署に申込んでいるのに適切な手段をとっていない等当裁判所のこの判断を変更する必要はないと考える。
次に前記藤原喜代夫の証言によれば四五年五月頃同人が渡辺からきいたところでは原告は渡辺が組合活動をやっているので復職させないのだといった部分があり原告自らが渡辺の復職を望まなかったとすれば本件損害は原告自らが招いたといえるが証人瀬川菊次の証言によると当時原告が渡辺の復職を望まなかった事実はないことが認められるのでこの点に関する被告の主張は採用できない。
次に被告の主張には労働基準監督署等が渡辺の治癒認定をしなかったとしても原告は独自の見解で渡辺に就労させるなり何なりすればよかったから本件損害は被告の責任でないという主張が含まれているが京大病院や労働基準監督署が渡辺の治癒認定や休業補償の打切少くとも長期傷病補償給付決定をしない限りそれに反して渡辺を就労させたり解雇する等のことはできないのが実情であるからこの点に関する被告の主張は採用の限りでない。
四 損害について
1 社会保険料の立替分 二七万五〇二二円
証人藤田隆久の証言によると原告が四三年一月から渡辺が退職した五二年三月迄の間に渡辺のため支出した社会保険料は原告主張のごとく合計五五万〇〇四四円でその半額は原告が渡辺のため立替納付した分でその半額が事業主の原告負担分であることが認められるので原告はその立替分二七万五〇二二円の損害を被ったこととなる、被告はこの立替分は原告の債権として残っていて損害とはならないというが健康保険法七七条等によれば事業主が被保険者の保険料を納付する義務を負っており《証拠省略》によって認められるごとく渡辺は原告の請求があってもこれを原告に支払わずその回収は容易でないことが認められるので原告の損害と認めて差支えない。(尚これは原告の主張から外れるが後記のごとく原告の逸失利益請求は認められないのであるから事業主たる原告が負担した保険料を以て損害と認めることは可能である)
2 原告の逸失利益について
証人藤田隆久の証言によると原告は渡辺を就労させ得なかったため別紙のような損害を生じたというが渡辺は三七年九月一二日から休業していて四三年一月から急に休業したのでないこと、原告は渡辺のため特にタクシー車を休車させていた証拠はないこと、タクシー運転手は比較的代替性に富む職種で原告が渡辺に代る人間を採用していなかったとは想像されないこと、原告のように多数の従業員のいる企業では渡辺の休業のためこれだけの損害が生じたという蓋然性が極めて稀薄であるからこの請求はこれを認めるに由ない。
五 よって原告の請求は被告に対し損害金として金二七万五〇二二円とその中の四二年一月から本訴が提起された四七年四月迄の二四万一九九二円の半額である一二万〇九九六円に対しては訴状送達の日の翌日であること記録上明らかな昭和四七年六月八日から支払ずみまで残りの三〇万八〇五二円の半額である一五万四〇二六円に対してはその納付后である同五二年四月二日から完済まで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度において理由があるからこれを認容し、その余は相当でないからこれを棄却し、訴訟費用の負担につき民訴法八九条、九二条を、仮執行の宣言とその免脱はこれを付する必要なしと認めこれを付さない。
(裁判長裁判官 菊地博 裁判官 小北陽三 亀川清長)
<以下省略>